望みを失いつつある人のために必要なのは、社会の制度を改めることではなく、苦しいときにそばにいてあげることなのかもね。
The winner was a four year old child whose next door neighbor was an elderly gentleman who had recently lost his wife. / Upon seeing the man cry, the little boy went into the old gentleman's yard, climbed onto his lap, and just sat there. / When his Mother asked what he had said to the neighbor, the little boy said, / "Nothing, I just helped him cry"(Stories: Wht is Love?)
ちゃんと、誰かがそばにいてあげたのかな。いちばんそばにいてほしいと思っていた人は、さいごまでそばにいてくれていたのかな。
自分にも、そばにいてあげなければいけなかった人がたくさんいる。もう二度と、寄り添うことのできない人も。
そばにいてあげなければいけない。
西友スーパー特の市のCMのハモりがダメすぎる件
僕らがその時代に対して想像したり推論したりする範囲が時代を遡るほどに限られてしまうせいで、昔の生物ほど進化論的に前段階であると結論せざるをえなくなっていったのであったらチョー面白いのに、と思う。もしそうなら、文化的な豊かさすら現在と同程度に見積もることが可能であるどころか、今の時代が単なる劣化コピーにすぎないという極論に至ることさえもできるかもしれない。
朝ごはんを食べ損ねたときに僕がよく食べるバナナについての秀逸な考察。(thx fukaz55(フカズゴーゴー)(*1)「バナナはおやつを超越する」)
はたして、バナナは、草なのか?木なのか? 野菜なのか?果物なのか? 主食なのか?間食なのか? そして、松尾芭蕉は「松尾バナナ」という自分の名前に納得しているのか!? 今日は、バナナという越境する植物について考えます(吹風日記「バナナはおやつを超越する、境界線上のバナナ、芭蕉の夢・バナナの旅」)
論文を書くスキルってこういう考察のためにあるんだと心から思う
*1:cf. ジェイコンド
新聞の一面が「日ハム 日本一」であったため、光速で再構成を施し「日本一のハム」でGoogle検索したら、博多華丸・大吉のブログを発見。まさかはてなでやるとは。