このブログからすっかり離れてしまいました……。最近はてな界隈をうろついています。いろいろあってmixiは幽霊会員となりましたし。しかし、愛すべきblosxom。心の奥では離れていないつもりなんです。なのに、この煮え切らない思いは一体何なのか。
正直、一部のalpha-blosxommersに甘えすぎたと思うんです僕は。kyo氏によるbskに始まり、うぃね氏によるmoblosxomプラグインに代表されるあらゆるプラグイン実装。それらのほぼすべてにおいて、これまで私は「クレクレ君」そのものでした。なんというか、情けないというか。
一般的なブログをやるだけならプラグイン市場はある程度飽和しているかもしれません。あるいは、それでもやりたいことがあるなら自分でプラグインを書く、というのが本当のところだと思います。ヘタレながらも技術者方面を目指している以上、そういう部分で他力本願というのはどうなのかと。そういった思いが内にあって、悶々とblosxomを放置し続けているということになってしまっています。
だからもっと、Perlを書くなりなんなりしていかないといけない。自分の足で立てるようにならなくてはいけない。この足で突っ走ると決めたからには。……自分にとって今はそういう時期です。
私も好きな曲です。
Я иду
Всё мы тоже идём
(伊藤剛のトカトントニズム「ヤイドゥ・セミモイファイディ・イジョン(中学生の耳コピのまま)」、diagraph/闘病日記2005年8月30日、音楽考「モアベター Yellow Magic Orchestra」)
Все мы тоже идём
ではないのか。どうなんでしょうか。
「将来何になりたい?」と聞くと「考えてない」と答える子がいる。そういうものなんだろうか。自分の場合は小さい頃からアレになりたいコレになりたいといろんな夢を思い描いていたものだし、今でもそれは萎縮することがないどころか拡張を続けてさえいるように思う。「趣味は?」「好きなものは?」という問いにも「ない」の一点張り。思わず「へ?」とか言ってしまう。不思議すぎる。「一体何が楽しくて生きているんだオマエは!」と言いたくなる(言わないけど)。
そんなことをわざと言っているのだろうか。「コレになりたい」という発言を笑い飛ばされた的なトラウマでもあるのだろうか。それとも、発達段階の子供にはそういう夢に目覚めていない(?)ような子もいて、それは個人差の範囲だと考えなければいけないのだろうか。
夢も趣味も好きなこともないというメンタリティが本当にわからない。問いばかり立てても、それに対する答えが一向に浮かばない。気を取り直して、「何か好きなことを見つけてごらん。どんなことをするのにも、それは君の力になると思うよ」というようなことを言ってみる。我ながらずいぶん軽率でその場しのぎな発言だと思う。本当にこれでいいのだろうか。
3Dである上に迫ってくるという困難さ。二回で断念。